北極のペンギンたちについて

北極のペンギンたちについて

アイドルの概念とアイドルの語るアイドル論が好き

北極のペンギンたちについて

髙地優吾と生活

スク革で「生活感アイドル」という絶妙な通り名を授かっていたように、彼は本当に「生活」が似合う男だと思う。

 

確定申告で末っ子慎太郎くんに頼られる髙地くん。

サッとご飯を食べたい時にサバたまごかけごはんを作る髙地くん。(手の込んだ料理を作ろうとしていない時にどこまで一手間加えられるかに“生活”が出てくると思うのであのエピソードが出てきたときは大喜びした。)

 

「生活」というのはふんわりとした言葉だが、大辞泉によれば

1.生きていること。生物がこの世に存在し活動していること。「昆虫の生活」「砂漠で生活する動物」

 2.人が世の中で暮らしていくこと。暮らし。「堅実な生活」「日本で生活する外国人」「独身生活」
(3以下省略)

といった意味があるらしい。

髙地くんに対して用いる「生活」は、1というより2の方の意味がしっくりくる。単に生存しているのみならず、“世の中で”暮らしていくという社会への適合の要素を内包する分、2の語義的な「生活」はより高度なものとなる。

 

CreepyNutsの『オトナ』という曲の中に

brother& sister

普通に息を吸って吐くだけが
何故難しいんでしょうか?

返してない連絡
返してない電話
催促、契約更新、oh shit!生活生活生活!

という歌詞がある。

 

オトナ

オトナ

  • provided courtesy of iTunes

 

たしかに「生活」を構成するものは、ミクロ的に見ればひとつひとつは大したミッションではないようにも見える。しかしそれを日常の中で同時進行で遅滞なくこなし、かつその他の生活のゆとりを確保するということになると急激にハードルが上がる。しかも、たとえ形式的にクリアできたとしても、それが努力の次元ではなく習慣の次元で実現されていなければ生活とは呼べないのである。

「生活」という言葉の響きのせいでしばしば社会のデフォルトミッションのように取り扱われるものの実際のところ超難関ミッションである。(考えれば考えるほど、当たり前のようにこなす髙地くんがいかにとんでもないかを痛感させられる。)

 

芸能界という普通からかけ離れた特殊な業界で髙地くんが「普通っぽさ」を貫いていることが、却って極めて異端であるという点は間違いなく共感を得られると思う。そしてそれを可能にしているもののひとつが「生活」なのではないか。生活の実践により「普通さ」という絶対領域を防衛するための豊かな土壌となり、荒波の中でも揺るがない安定が供給されているとしたら。髙地優吾という底の見えない沼アイドルを支えているのは生活なのかもしれない。

 

庶民派アイドルと生活感アイドル

余談だが、庶民派アイドルと生活感アイドルは全く別物だと思っている。芸能人らしくないということで似たニュアンスがあるのは間違いないが、髙地くんは庶民派アイドルというよりは生活感アイドルであると主張したい。彼は庶民的というよりは丁寧で上質な、欲しいものは吟味した上で買いコストを抑えられるところではきっちり抑えるメリハリのついた金銭感覚に裏付けられた「生活」をしているのである。