北極のペンギンたちについて

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ジェシーとブラックホール

 

喩える

 

ジェシーさんを喩える言葉は枚挙に暇がない。

 

太陽、キャプテン*1、月、覇者、王様、ハリウッドスター…等々

 

オタク側が言っているものから最強の右腕が語っているものまで様々ではあるが、どれも本当に素敵な比喩だ。

個人的な話で恐縮だが、私が「人の魅力を何かで喩える」という行為をしたくなるのは、“すごい”とか”かっこいい”とか、そういう既存の直接形容できる表現では溢れて全然足りないと思うほどの魅力を実感した時である。

直接それを表現することは難しいが何とかして言葉にしたい。そういう時に、何か別の物の性質を利用することでなら表現できるかもしれないと考えて、喩えることを試みる。*2

だから、“喩える”という行為が私は好きだ。他の人のする比喩についても、何とか言葉にしようとして森羅万象の中からそれを選んだその人の、その選択に至る葛藤や思索ごと愛おしく思っている。

 


そういうわけで、彼の誕生日によせて私も彼をひとつの比喩を用いて形容してみようと思う。

 


 

ジェシーさんは、ブラックホールみたいな人である

 

 

質量

 

彼に惹かれる気持ちには、(彼が愛を施してくれる人だからありがたいというのはありつつも)それだけでは説明のつかない“抗えなさ”があるように思う。しかもその“抗えなさ”は決して嫌なものではなくて、むしろその波の中にいることを心地良く感じることができる類のものである。

平たく説明するとしたら「魅力的だから」ということになるのだろうが、もう少し言葉を尽くしてみる。

 

ブラックホールはあまりに質量が大きいために周囲のものを引き寄せる。

 

彼を見ていると多くの友人ひとりひとりに深く熱く柔らかい愛情を注いでいることに心から尊敬の念を抱くことがしばしばであるが、それは即ち彼の愛情を取り扱えるキャパシティが大きいということでもある。あまりに大きな愛情として全方位に愛を与える存在としてそこに存在することで、(あたかもブラックホールがその質量によって周囲のものを引き寄せるように)同時に周囲からも自然と愛を集める。

掃除機のように吸い上げるのではない。ただ“そのように在る”ことで惹きつける。

 

 

明暗

 

 加えて、彼の明るさの背後にはどこか底知れない暗さがある。

「ネガティブで暗くて人見知りだった自分を変えたいと思って意識的に変えた」という話を自らされているのを度々目にする。

繊細で緊張しいで、人の痛みに寄り添える人。その上で明るくあろうと、前向きであろうとすることができる人。意識的に口にした言葉を、いつしか本当にしてしまうだけの強さと誠実さと忍耐力のある人。

私たちは彼の口からサラッと語られる彼の人生のごく一側面であったりパブリックな場で見せる振る舞いであったりしか知らない訳だけど、それでも彼がただ底抜けに“明るいだけ”の人ではないということはよく知っている。

 


 

ブラックホールはその名の通り、中央はその質量の大きさから光をも逃がさないために真っ暗に見える。

しかしその外側は落ちていくガスによって極めて明るく輝く。

 


誰の目にも明らかな明るさと、中央の底知れない深さ重さが、双方嘘ではなく両立する。

思慮深さや繊細さに裏付けられた人生哲学が中央にどっしり構えていて、その外側に彼が努力で作り出した対人コミュニケーションスキルやキャラクターが存在する。

もちろんその外側にしても、彼の作り出した単なる虚構に過ぎないのではなくて、内側にブレずに存在する彼自身から供給される説得力があってこそ成り立つものである。

 

 

 

敬意

 

ジェシーさんは私にとって6人の中でもとりわけ掴めない方なのだが、同時に掴めないことを嬉しく思っている節もある。

だからこそ多分、彼のことをこんなにも色々な言葉を尽くして喩えたくなる。喩えたものとの相同性をどんなに解説しても私が彼を理解したことにはならないのだが、むしろ、それゆえにこそ、喩えるという営みが私にとっては最大限の敬意の表し方なのである。

 


ジェシーさんはブラックホールみたいな人だ。

 

 


彼は直接対価として返してほしくて他者に愛を与えているのではないのだろうけど、少なくともあんなにも愛情深い彼が、最大限に幸せでありますように。

これからの1年間も愛で満ちたものになりますように。

 

お誕生日おめでとうございます!

2023年6月11日

 

 

 

*1:キャプテンに関しては現に役職でもある

*2:いくつかの場合においては比喩というよりは

2つ以上の関係や機能が互いに類似していること,およびこの類似に基づいて未知のことを推しはかること

(ブリタニカ国際大百科事典より)

という意味での「類比」と言った方が適切な場合があるかもしれない。