北極のペンギンたちについて

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逆接ソングとして『こっから』を聴く

 

51日の結成日、SixTONESのオフィシャルサイトにSONYさんが用意してくださったお祝いメッセージのモチーフが「だが、情熱はある」の「、」の部分であった(と私は理解している)ことは記憶に新しい。

 

読点の役割について分類した研究を確認したところ

1 節間に打たれる読点
2 係り受け関係を明確にする読点
3 難読・誤読を避ける読点
4 主題を示す読点
5 先頭の接続詞・副詞の後に打たれる読点
6 並列する単語・句の間に打たれる読点
7 時間を表わす副詞の後に打たれる読点
8 直前の語句を強調するための読点
9 その他

(村田他 2012 p.2

9つの用法に分類することができるとのこと。

 

今回の場合の読点の用法を上記分類に従ってひとつずつ検討していくと「先頭の副詞・接続詞の後に打たれる読点」と「直前の語句を強調するための読点」というふたつの用法の可能性が考えられそうである。

 

前者の場合「前置きの語を区切るという目的」で挿入されるらしい。(同 村田他 p.4)「だが」という接続詞の後で一旦区切って整えた上で「情熱はある」という後文を迎えるという役割を果たしている。

後者の場合「執筆者の意図に依存」して自由裁量で打たれるものとされている。(同 村田他 p.2)今回の場合、直前の「だが」を強調するはたらきを製作者が意図していることも考えられる。

 

ドラマ中において「だが、」は「たりないふたりだが、情熱はある」という逆接の流れの象徴である。

 

ネガティブな内容の前文に続けて「だが」と切り出し、続く後文が登場する直前に一拍置き切り離す。極限まで強められた「だが」によって内容を転換し、反対の内容であるポジティブな(前進的な)後文を導く。

逆接の接続詞「だが」をこれ以上なく効果的に際立たせる読点であると言えよう。

 

 

 

逆接

 

「逆接」というキーワードから捉え直していくと、ネガティブ→ポジティブの逆接がSixTONESの得意分野であることを連想せざるを得ない。

 

最初から順風満帆だった訳ではない。完全無欠なロボットではない「人」である以上、緊張もするし悩みもする。

だが、6人集まれば強くなれるし、無防備にだってなれる。*1

“6人でいると不思議と最強だと思える”と折に触れて語る彼らの生き方の片鱗を見せていただいている身として、最高に逆接の似合う6人だということを声を大にして主張したい。

逆境から始まり、それでも「だが」を繰り返して今を積み重ね、賭けに勝ち続けてきたSixTONESさんだからこそ、彼らの語る逆接にはこれ以上ない説得力がある。

 

このようにして逆接の在り方を歌った楽曲を「逆接ソング」と定義すると、これまでも多くの逆接ソングを歌ってきていることに気付く。

例えば

飛び立つのさ 土砂降りの雨の中 

と歌ったデビュー曲 Imitation Rain

*2

あるいは

賽を奪われた世界 奈落の淵で 轟かす共鳴

と歌った共鳴。

これまた壮絶なSixTONESの逆接の歴史をなぞっている。

そもそも「賽を投げる」という行為は、一か八かの勝負に出るきっかけとなる賽そのものは自分の手の中にある人間にしかできないのである。手の中にその賽すらない、奈落の淵・絶体絶命の状況から始まったSixTONESだが、6人なら叫べた。鳴らした音に誰かが共鳴し、それが連鎖してきた結果として今があると歌う。

どこまでも強烈な(しかもこれも佐伯さん*3作曲の)逆接ソングである。

 

その意味では、正面から逆接と向き合った『こっから』は、これまでさまざまな楽曲において逆接を歌ってきたSixTONESのひとつの集大成であると捉えることができる。

 

どれだけ上手くいかなくても、天才じゃなくても、「こっから」始めよう!

こっから | SixTONES(ストーンズ) Official web site

公式ホームページで公開されている楽曲紹介文は、まさにそんな『こっから』の在り方を端的に表現したものといえる。

 

 

 

逆接と否定

もっとも、同時に

「逆接」ではあるが、「これまでの否定」を意味するものではない

という点については、かなり重要なのでしっかりと注釈を入れておかねばならない。

自分は自分のままでしか生きられないのである以上、「これまで」を肯定しなければ「こっから」も肯定できない。三者は「劣等も嫉妬も叱咤なる燃料」と宣言して過去と今を肯定的に捉え直してこそ未来(=こっから)をも肯定して前進できるという関係にある。

『こっから』が力強くも優しさのあるSixTONESらしい人生讃歌に仕上がっているのは、そんな過去と今と未来への丁寧な肯定の軌跡が曲中に現れているからだと思う。

 

 

 

余談だが、このことは(意図的にか偶然にかはともかくとして)韻によっても表現されているのかもしれない。

「ない」という否定形から始まる強烈な葛藤から決意までの過程を歌った「ワルクナイ」パートを「ai」が貫いているのである。

ai(nai tai sai kai

nai・tai・sai・kai等、常にaiで押韻しながら展開

悪くない warukunai

間違ってない matigattenai

自分じゃない jibunnjanai

せいにしたい seinishitai

天才じゃないの tennsaijanai

わかんなさい wakannasai

フィクションじゃない fikushonnjanai

よく見なさい yokuminasai

天賦の才などない tennpunosai nadonai

やめられないみたい yamerarenai mitai

馬鹿みたい bakamitai

見てみたい mitemitai

未来 mirai

限界 gennkai

正解 seikai

「ない」にも「愛 ai」が含まれる。「自分達のたりなさごと含めて肯定して燃料にする」という姿勢をこんなところにも宿らせているとしたら、あまりに巧みな言葉の使い方にただただ驚くばかりである。

 

 

 

 

全員の名前に「、」が含まれていることに気付き、周年のタイミングでこっからのSixTONESさんへのエールに代えて教えてくれたSONYさん。

 

どんな状況でも「だが、」とさえ言えればこちらのもので、前に進むきっかけが得られる。逆接の強さがあれば「こっからまた始めよう」と言うことができる。

 

「だが、」はもちろん、ドラマの主人公のふたりについてのみ妥当するものではない。

「ドームという大きな舞台に辿り着いた、だが、まだまだこっからである」というSixTONESさんについてもそうだし、誰かの人生に必要なだが、でもある。

 

どんなに苦しい時も、まだまだ頑張らなければならない時も、無条件で繰り出せる「だが、」をプレゼントしてくれる『こっから』。

 

私の人生のネガティブな前文も、誰かの絶望的な前文も、あるいはSixTONESの旅路という前文も、「だが、」と切り出す強さで転換してグッと踏ん張って、天才じゃなくとも限界を超えて、何度でも「こっから」始められたらと思う。

 

 


www.youtube.com

 

 

引用

村田国輝・大野誠寛・松原茂樹(2012)「読点の用法的分類に基づく日本語テキストへの自動読点挿入」『電気情報通信学会論文誌 DVol.J95-D No.9183-9

https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/?action=repository_action_common_download&item_id=69512&item_no=1&attribute_id=1&file_no=1

 

*1:常温さんのこちらのツイート参照

常温 on Twitter: "やっぱり京本さんの「一人一人は傷つきやすくても、6人集まると無謀で、無防備になれる」って言葉すごく好きだ 無謀でいられるほどの信頼のおける、無防備でいることで傷がついても一緒なら構わないって思える人たちがいるのって生きる上でとんでもない財産" / Twitter

*2:歌詞に無粋な注釈をつけるのは躊躇われる気もするが、今回の文脈に即して表現するとしたら「土砂降りの雨の中、だが、飛び立つ」ということになる

*3:佐伯さんの描くSixTONESは割と逆接を歌っていることが多く、佐伯さんの解像度、姿勢と解釈の一貫性に改めて感動する