北極のペンギンたちについて

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アイドルの概念とアイドルの語るアイドル論が好き

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『ぎゅっと』それでも夜は明けるけれど

 

それでも夜は明けるけれど

君にとってはツラいんだろうな

 

ぼんやりと眺めていた歌番組でこの歌詞が流れてきてハッとした。一瞬で目が覚めて、画面の中で歌っている彼らを食い入るように見つめたのをよく覚えている。

 

朝が来る”というのが一般的に希望のメタファーになっていることは間違いない。歌でも小説でも大抵、「夜明け」といえば絶望から抜け出すことを意味する。絶望の夜から希望の朝へ。これ以上ないくらい美しくて完璧な比喩だ。

 

ただ、個人的には、どうしてもしっくり来ていなかった。

というのも私は、ほとんど朝が来たことを喜んだことがない類の人間だったからだ。

朝が来て向かう学校という空間は、常に自分の価値を試されている場だった。昨日は上手く潜り抜けられたが今日こそは駄目かもしれない。この曲に出会ったのは特に、そんなことをずっと考えては朝が来ることをとにかく恐れていた時期だった。

 

必死に1日生き抜いて夜に逃げ込んでも、日が登れば朝に引き渡されてしまう。裏切られたような感覚で朝を迎えていた。そんなわけで「明けない夜はない」は(特に当時の)私にとっては絶望の言葉に響いた。

(もちろんそうした表現そのものやそれを伴う曲を批判・否定する意図は全くないことは理解願いたい。夜明け曲で大好きな曲もたくさんある。)

誰かが曲の中で言葉を尽くして朝を祝うたびに勝手に自分だけ取り残されたみたいな気持ちになって、誰のせいでもなくほんの少し寂しかった。

 

だから、『それが君にとってはツラいんだろうな』と夜が明けることを喜ばずにいてくれるどころか、むしろ朝が来るツラさに寄り添ってくれたあの歌詞と出会って、泣きそうなくらい嬉しかった。私の憂鬱で絶望に満ちた朝のことを、画面の向こう側の彼らは知ってくれているような気がした。

いつでもちゃんと見てるから

いつもだったら素直に受け取れなかったであろう、ステージ上の会ったことすらないアイドルから言われた「ちゃんと見ている」が、あの時ばかりはすっと身体に馴染むのを感じた。

 

 

『ぎゅっと』の詞の秀逸なところはこのパンチラインの後で更に

空にはゆっくり雲が流れる

と畳み掛けるところである。

「辛いだろうけど頑張れ」とか「辛いだろうから泣いてもいいよ」とか、そういう方向性に直接持っていくこともできただろうに、ここで風景描写を挟み込む。

星でも太陽でも月でもなく、夜の空にも朝の空にも浮かんでいて、太陽よりずっと私たちの近くに浮かんでいる雲。朝も夜も関係なく、私たちの憂いも絶望も関係なく、ただ風の吹くままに雲は流れていく。

 

辛さに追われて視野が狭まっている人に押し付けがましくなく俯瞰の視点を与え、同時に結果を急いでしまいがちな人に無理なくゆったりとした時間の流れを想像させることに成功している。あまりに巧みである。

 

(この優しく美しくかつ過不足なく言葉を使う人は誰だろうと作詞家を検索して、風磨くんが携わっていたと知ったときの驚きは今でも新鮮に思い出せる。作詞家菊池風磨、恐るべし…)

 

 

夜明けの絶望にぎゅっと耐えなければならない朝ばかりの日々ではあるけれど、この曲のおかげで大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせて歩いてくることができた。

あの日から今まで、そしてきっとこれからも、私を救い続けてくれているこの曲に心から感謝している。

今もぎゅっと抱いて

明日もぎゅっと抱いて
いつでもちゃんと見てるから 

大丈夫

これからもぎゅっとがずっと愛され続けること、必要な人のもとに1人でも多く届くことを願って止まない。

 

 

*****

セクゾも大好きではあるものの、(アルバムやシングル、ブログ、SNS、ROT、ジャにの、ニノさんを見ているくらい)あくまでスト担の書くことなので不正確な部分があるかもしれないことをお許しください。風磨くんのクレバーさを番組で見るたびに好き…となっています。


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